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自主の会

JISHU NO KAI

すべての人の命と尊厳が守られみんなが主役の社会を

福島みずほ
社会民主党党首

コロナ禍のなか病床を減らす

いまの日本の重要課題はやはり命のこと、とくに新型コロナ対策だと思います。

政府は今回のコロナ禍の以前から、保健所を減らし病床を減らしてきました。そればかりか、コロナ禍の中、去年2月から今年の2月までにも病床を2万888床も減らしています。通常国会は6月16日に終わりましたが、医療法の改悪がおこなわれました。病床削減に対して消費税が財源となる195億円の予算を付け、病床削減を促進しようとする法律です。政府は「このままでは新型コロナ患者用の病床がひっ迫する」と国民の恐怖を煽っておきながら、むしろ医療費削減のために病床削減を言い出しているのです。また、公立病院、公的病院の再編・統廃合のリストも出しているのです。それを撤回もしないで、命を守る政策をやっていくと言ってもだれも信じません。

いま必要なのは、例えば臨時病院をつくったり、PCR検査をきちんとして陽性者は隔離してしっかり治療したりすることなどです。この当たり前のことができていないのです。すべての政策が「ボタンの掛け違い」というより、「ボタンをかけていない・前が開いているよ」という感じです。

例えばPCR検査です。税金を使う公的なPCR検査は無料ですが、検査をおこなうためには保健所を経由しなくてはいけない制度にしてしまいました。しかしこの保健所を経由することは高いハードルになっています。保健所経由だとなかなかPCR検査を受けられなくて、みんなは保健所経由ではなくて自分でお金を出して、個人でPCR検査を受けるようになってしまっています。その陽性者数のカウントが公的な発表になかなか反映されません。保健所経由だとハードルが高くて数が増えない、個人だと高額なのでその数も増えない。両すくみ状態です。PCR検査の問題はコロナ対策のほんの一部のことですが、政府の政策すべてに通じる問題だと思います。

東京五輪・パラリンピックを強行開催

最近は、東京パラリンピックの学校連携観戦プログラムの問題があります。大人には「ステイホームです。テレワークでやってください」と言いながら、民族大移動のオリンピックをやって、挙句の果てに、子どもたちには「文化祭や運動会は自粛してください。感染源になります」と言いながら、学校連携観戦プログラムをやる。もう今の政府の言うことは支離滅裂です。学校連携観戦プログラムは江東区や江戸川区は中止になりました。でも千葉市は残っています。(編集部注 その後8月30日に千葉市は中止)

今回の学校連携観戦プログラムに対しては、自治体議員や市民が反対の声をたくさんあげてくれました。教育委員会に中止するように申し入れをおこなったり、反対デモやスタンディング行動をおこなったりしました。もちろんわたしたち国会議員も国会や様々な場所で頑張らなくてはいけませんが、草の根のみんなの願いや動きは絶対に必要です。そうでないと潰せません。直接、反対の声をぶつけないと〝みんなが望んでいました〟と言われかねません。

「重症・重症化リスクのある患者以外は入院できない」発言の衝撃

菅政権の人の命を軽視する姿勢が露骨に表れたのが8月2日の発言でした。

菅首相は記者会見で、「原則として重症患者と重症化リスクのある患者以外は入院できない」と言いました。私はその発言を聞き、これは棄民政策そのものだと思いました。政府はもう人々の命を大切とは考えませんという、凄まじい宣言だと思いました。

わたしたちは税金を払っていますし保険料も払っています。しかし、税金や保険料を払っていても入院はできないし治療もできない。これは凄まじい棄民宣言です。それにもかかわらず、菅首相は問題だとも思わずに平気で発言していました。自己責任で治療しろということです。公助・共助・自助のうちの、自助だけが出てきて公助が出てこない。これこそ自民党政権の本質です。自民党政権の新自由主義的体質の表れだと思います。

新自由主義の嵐

わたしは、社会民主主義を実現することが大事だと思います。「すべての人の命と尊厳が守られる社会」を実現するのが社会民主主義であり、「だれかがではなくてみんな」が主役になる社会を実現するのが社会民主主義です。

これに反するのが新自由主義です。新自由主義の社会では弱い立場の人の命や尊厳は守られません。そして一部の強者・富裕者が自分たちの利益だけのためにすべてを決定していくのが新自由主義の社会です。

新自由主義は1970年代から吹き荒れていました。経済学者の宇沢弘文さんは新自由主義について、次のような考え方だと説明しています。

「企業の自由が最大限に保障されているときに、初めて人間の能力も最大限に発揮することができる。そのために、すべての生産要素、資源を私有化し、個人所有にして、すべてのものをマーケットを通じて取引する。そうすることによって社会全体として非常に望ましい状態を実現することができる」(宇沢弘文『経済学は人々を幸福にできるか』)

日本ではとりわけ小泉構造改革以降に新自由主義の政策が顕著になりました。一九九六年に小泉内閣で「労働者派遣法」が改悪されました。それ以後何度も改悪され、今の格差社会をつくる大きな原因の一つになっています。

私は新自由主義というのは、宇沢弘文さんの定義でも言っているように「企業が活躍すれば、経済がうまくいくという」考え方だと思います。民営化という考えも入っています。新自由主義というのは、結局は企業の利益のためのものです。企業の利益だけを優先してやってきたために、個人の生活は犠牲にされ、ますます厳しくなっていきました。いまは非正規雇用が四割になりました。実質賃金は下がり続けて、生活の先が見えなくて不安でいっぱいの人が多いです。それなのに一方では、企業の内部留保が四七五兆円と言われています。企業が潤う一方で、人々はすごく苦労しているのが新自由主義です。

新自由主義の非人間性

新自由主義の非人間性を象徴する話として、「シカゴ学派」の人たちの非人間的な行動を、ある人から間接的に聞いたことがあります。

チリのアジェンデ政権がピノチェト軍事政権のクーデターで倒されたときの話です。そのときアジェンデさん自身も殺されましたし、たくさんの人が虐殺されたり行方不明になったりしました。アジェンデさんや多くの人が殺された話を聞いたシカゴ学派の人たちが、シカゴで喜びの喝采を挙げたのだそうです。新自由主義の凄まじい残酷な一面を表していると、その話を聞いたとき思いました。人が死に民主主義が倒されたことに喝采を浴びせる人たちがいるというのは考えられないことです。ふつうは民主主義が倒されたら、たとえ自分の考えとは違っていても心痛むものです。ましてや人が亡くなったり人命が軽視されたりすることは、人間として悲しむことは当然のことです。それなのに喝采を浴びせるとはどういうことでしょうか。

新自由主義が目指す社会は、大企業の利益や富裕者のための社会です。アメリカの大企業の資本が、アジェンデ政権時代はチリに入っていくことができませんでした。そのアジェンデ政権を崩壊させることができて万歳!なわけです。これが新自由主義の凄まじい残酷さを表す一面です。人が死のうが民主主義が倒れようが、やはり大企業の利益が一番と骨の髄まで思っているのです。

共感力のない菅政権

新自由主義の政治を今も形を変えながら日本でおこなっているのが自民党・菅政権です。

自民党・菅政権の政治には共感力がありません。お金がなく・住まいがなく・仕事がなく苦しんでいる人がたくさんいます。あるいは貯蓄を取り崩して生活しながら先が見えなくて不安に思っている人もいます。自分がコロナになっても入院できない、子どもの将来はどうなるのだろう…この凄まじい先の見えなさ加減の不安と、菅政権がやっている政治の間が、ぶちっと切れていて、共感力がないのです。

そういう現状を変えていきたいと思っています。

社会民主主義政権の国々

わたしはこの新自由主義から社会民主主義への政策の転換をしなくてはいけないと思います。

世界では社会民主主義政党が政権にある国があり、そういう国では国民のための対策も比較的うまくできていると思います。例えばデンマークは社民党が単独政権党です。フィンランドも五つの政党ですが社民党のトップのサンナ・マリンさんが首相です。労働党のアーダーン首相が率いるニュージーランドもあります。アイスランドも左翼緑の党トップの女性が首相で、世界で一番ジェンダー平等の国と言われています。

サンナ・マリンさんが三四歳でフィンランドの首相になった時に「どんな子どもも自分のなりたいものになることができ、すべての人の尊厳が守られる社会をつくりたい」と言いました。

社会民主主義は、「だれかが」ではなくて「みんな」が主役という民主主義の基本の思想です。それに対して新自由主義は、一握りの人による一握りの人のための政治です。その典型が安倍・菅政権です。安倍さんや菅さん個人による政治の私物化という問題もありますが、何より新自由主義による一握りの大企業や富裕層のための政治が問題なのです。安倍前首相は「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指す」と言ってはばかりませんでした。

わたしは、サンナ・マリンさんが言ったように「どんな子どもも自分がなりたいものになることができ、すべての人の尊厳が守られる社会」をつくりたいと願っています。

新自由主義では命は守れません。改憲とかナショナリズムという凄まじい国家主義も命を守ることはできません。新自由主義も国家主義も、まさに人の命よりも大企業の利益や国家のためを優先して、人の命なんて木の葉のように軽く扱われてしまいます。それを変えたいのです。

みんなが社会をつくる一員

社会民主主義が優れていると思うことは、社会的な様々なことをソーシャルに解決しよう、Common(コモン:一人一人がつくっている)の力でやっていこうという点です。社会民主主義の「社会」の部分です。

例えば水道民営化問題がありますが、何でも民営化すればうまくいくというわけではありません。水道民営化を進めようとしたヨーロッパのパリやベルリンは再公営化に戻りました。斉藤幸平さんの本の中にも出てきますが、やはりCommonを作っていく、つまり地域から再公営化をしようという動きをつくっていくのが一つの新しい動きと感じています。

もう一つは社会民主主義の「民主」の部分です。「一握りの人ではなくみんなが」主役という部分です。ジェンダー平等や差別の撤廃と関係があると思います。新自由主義の下ではジェンダー平等は実現しないし、両立しません。女性は生理とか妊娠出産がありますので、企業の利益が一番優先されるとしたら女性は振り落とされます。女性は何かを切り捨てなければ、新自由主義の世界では生きていけません。

社会民主主義の、問題をきちんと「社会」で解決していくという面と、みんなが主役という「民主」の面の二つを大事にする社会を作りたいと思っています。

社民党の重要政策課題

社民党が2021年8月に発行した「2021年社民党重点政策の解説集」の党首あいさつで以下のように書きました。

「社民党が作りたい社会は『弱音がはける社会』です。あなたの弱音が政治の課題です。すべて自己責任ではなく政治が役割を果たすことが必要です。社民党が作りたい社会は、『すべての人の命と尊厳が守られる社会』です。……税金の取り方と使い道を変え、雇用・医療・福祉・教育を大事にする社会に変えます。ジェンダー平等を実現し、子ども・高齢者・障害がある人などすべての人の尊厳が守られる社会になるように全力を尽くします」

2004年に社民党宣言を出した時に「平和」「自由」「平等」「共生」という四点を打ちだしました。

今回の冊子では、山城博治さんが「平和」、わたし福島みずほが「自由」、大椿ゆうこさんが「平等」、伊是名夏子さんが「共生」という看板を掲げる写真が載っています。

日本に外国の基地はいらない

既刊の「自主の道」にも記事がありましたが、わたしは、日本国内に外国の軍隊が駐留するというのは、あるべき姿ではないと思います。もちろん今すぐ魔法みたいになくなるわけではありませんが、でもあるべき姿とすれば、やはり米軍基地はなくすべきだと思いますし、少なくとも少しずつでもなくす努力をわたしたちはしていくべきです。

米軍がいなくなれば、〝では日本は核武装だ。自衛隊がもっと頑張るのだ〟ということにいくのではなくて、軍事に頼らない道を探る努力をしていくべきです。日本国憲法前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持」する道を探るべきです。いますぐには米軍基地が一斉になくならないにしても、できる限り基地は縮小していくとか、できる限り基地は返還させていくとかということをやるべきだと思っています。なぜならば基地は攻撃対象になるばかりではなく、こちらから攻撃する場所にもなるからです。

日米地位協定の見直しもすべきです。そして、日米安保条約を日米友好条約に変えるべきです。

現状にある騒音とかオスプレイとかの問題に対してもきちんと取り組んでいくべきです。

核兵器禁止条約に即時批准を

それと関連することとして、核兵器禁止条約に日本は批准すべきだと思っています。

アメリカの〝核の傘〟と言って、核の傘論に立つ限りは核兵器を禁止できません。隣の国が持っているならこちらも持つということになってしまいます。

日本は唯一の戦争被爆国です。広島・長崎に人類史上はじめて原爆が落とされ多くの人が犠牲になりました。今なお後遺症に悩まされている方もいます。唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約には批准するのは責務だと思います。

「向こうが軍事増強ならこちらも軍事増強、向こうに核があるならこちらも核の傘で頑張るぞ」というのではなくて、そうでない選択肢を外交や様々な方法でおこなうのが政治の役目だと思います。

重要土地規制法案の危険性

しかし、残念ながら国会では戦争への道を進んでいる現実があります。

周辺事態法・平和安全法制、秘密保護法・共謀罪法、つい最近の重要土地規制法など、戦争へつながる法案が次々可決されています。とくに六月に可決された重要土地規制法案は、基地や原発を監視する人が逆に監視されるという凄まじい構造の法律です。基地や原発や様々な施設の一キロメートル以内に住んでいたら調査の対象になり、報告聴取まで受けなくてはならないのです。沖縄の米軍基地反対のたたかいを監視し、つぶすためと言われても仕方ありません。基本的人権を制限する、あるいは反原発運動や反基地運動を監視し弾圧するという法律です。

南西諸島への自衛隊の進出

(南西諸島への自衛隊の進出 編集部作成)

2021年8月15日に、「島々を再び戦場にするな」というインターネットの番組をしました。沖縄平和運動センター議長の山城博治さんや、映画監督の三上智恵さんなどと一緒に、いま自衛隊や米軍が展開する計画が進む南西諸島に行きました。

巨額の土地買収で問題になった馬毛島は無人島なので米軍も強烈な訓練ができるようです。しかし、住民が多く住む種子島まで10㎞くらいしかありません。住民の皆さんは危機感をもっているのです。

いま南西諸島における自衛隊基地建設とミサイル防衛計画が急激に進んでいます。与那国島、石垣島、宮古島、奄美大島、馬毛島、それから九州まで行くという話もあります。

〝中国の脅威〟なるものを理由に自衛隊基地ができています。石垣島にはこれまで米軍基地も自衛隊基地もなかったのに、もう凄まじい勢いで自衛隊基地ができました。奄美大島も巨大な自衛隊基地ができるし、宮古島や与那国島にもできているのです。

こういう動きに対してみなさんが力を合わせてたたかっています。船で港に来るのをとにかく阻止しようとしたりしてみんな頑張っているのです。

利用される「中国脅威論」

〝中国からの脅威〟を煽っていますが、では仮に中国が攻めてきたとして(現実にはありえないことですが)そこに住んでいる人たちは、自衛隊基地があることで実際に守られるのでしょうか。反対に自衛隊基地があることで、より攻撃のターゲットになって島は戦場になるのではないでしょうか。

それからもう一つの側面は、中国の脅威を煽ることで、防衛予算の獲得の理由にされていることです。以前はソビエトの脅威を理由に陸上自衛隊は北海道にいました。しかし冷戦が終わり、そのソビエトの脅威という理由が弱くなると陸上自衛隊は縮小されてしまいました。それを取り戻すために、今度は南西諸島で中国の脅威を持ち出して防衛予算の獲得をめざそうとします。

脅威を煽り戦争の準備のための法整備が前述した法などです。この前の憲法改正のための国民投票法も同様です。わたしたちは賛成しませんでしたが残念ながら成立してしまいました。法律の面での戦争準備と憲法改悪の道、防衛予算がどんどん膨れ上がって教育予算を上回ってしまっているという実態、日米合同訓練などが拡大し沖縄本島も含めた南西諸島の「琉球弧」と呼ばれるところに全部基地を置いていくという凄まじい現実が、特に安倍政権以後、急速に進んでいると思います。

わたしたちはこのような戦争への道を変えていくたかかいをするべきだと思います。

現在と未来の戦争の危機

戦前に、渡邉白泉さんという俳人がいました。静岡県にある沼津高校の先生でした。

彼が詠んだ俳句には「戦争が廊下の奥に立ってゐた」「銃後という不思議な町を丘で見た」それから印象的な作品では「街に突如、注意、植物のようにたつ」とか、いろいろあります。渡邉白泉は50歳代後半で亡くなりましたが、現在の沼津高校に「戦争が廊下の奥に立ってゐた」の碑があります。

第2次世界大戦では、日本では300万人以上、アジアでは2000万人以上の人が犠牲になりました。わたしは過去の戦争の犠牲者を追悼したり、侵略戦争に反省の念を刻んだりするのは当然だし重要だと思います。安倍さんや菅さんは「侵略戦争」や「反省」という言葉すら言いません。

わたしは過去の戦争の反省も大切だと思いますが、それと同じかそれ以上に現在と未来の戦争の危機を阻止するたたかいも重要だと思います。

与那国島では自衛隊を招致するかどうかを住民投票で決めました。結果は僅差で招致することになりました。そのときには自衛隊に対する思いは僅差でしたが、自衛隊が実際に来ることで与那国島は「自衛隊の街」になってしまいました。隊員だけではなく家族もきます。その他にも自衛隊関係の人やもろもろのものがやってきます。結果として町議会でもその他のことでも自衛隊抜きにはなかなか決まらなくなってしまいました。わたしが石垣島の八重山高校の人に聞いたところによると、校門の前で自衛隊勧誘のチラシを配っているそうです。

わたしは、南西諸島の島々にはこの間何回も訪れています。そこで感じるのはひしひしとした危機感です。「本当に心しないと、ここがもう一度、戦場になってしまうのではないか」という強い危機感です。

沼津高校の先生だった渡邉白泉ではありませんが、「戦争が廊下の奥に立ってゐた」。ふっと振り返ったら、やはりそのようなことが起きるかも知れないくらいの強い危機感があるのです。

だからやはりきちんと理想を語り、現在の危機を語り、平和の構築をしていこうということをやっていかないといけないと思っています。

わたしが政治の道に進んだ理由

わたしが弁護士の仕事から政治の道を選んだのは、直接的には土井たか子さんから誘われたからです。土井たか子さんは当時、社民党の党首でした。弁護士の仕事の関係でご一緒する機会が多くありました。

わたしの当時の弁護士活動の多くは女性の権利や人権を守ることに関するものでした。

選択的夫婦別姓・婚外子差別撤廃・アジアからの出稼ぎ女性の緊急避難所・女性入院ヘルプの協力・セクシャルハラスメント・DVなどです。

平和や環境の問題にもかかわっていました。脱原発運動には20歳前後からかかわっていました。いまのパートナーの海渡雄一も原子力資料情報室の電話番みたいなことをしていました。わたしは「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」の会員でもあります。弁護士時代からかかわってきたことには、議員になっても当然かかわっていますし、そのことを通しての友人・同志もたくさんいます。

弁護士を天職だと思っていたが

わたしはずっと「市民運動をする弁護士」という思いで活動してきました。

その活動の一つとして、選択的夫婦別姓に関する法律を市民立法でつくるために、何人かの弁護士と一緒に法律案を練ったことがあります。社民党の人から「選択的夫婦別姓に関する法律が必要と考えるなら、議員立法ではなく市民立法という手段もありますよ」とアドバイスされて、千葉景子さんの秘書のような形で参議院法制局に何回も通って法律案をつくったりしていたのです。

そんなとき土井たか子さんから国会議員に立候補することを誘われました。1998年の参議院選挙です。わたしはその誘いをいったんは断りました。わたしは、弁護士が天職だと思っていましたので、国会議員に立候補するというのは自分が思っていた人生とは違うと思ったからです。

それに対して土井たか子さんは「国会では、これから五月雨のように有事立法が出てくる。そんな国会で一緒にたたかってほしい」と言われました。

1997年に「新ガイドライン」が日米安全協議委員会で合意されました。1998年の次の年1999年には、周辺事態法、日の丸君が代国旗国歌法、盗聴法、国会法を改正して憲法審査会を設置する法、住基ネットのための住居法の改正という五つもの悪法が小渕内閣で出てきました。確かにこれから五月雨のように出てくる有事立法にたいしてたたかうことはみんながやるべきことだったのです。そんな国会で土井たか子さんに「一緒に頑張ってほしい」と言われました。

わたしは割とルンルンランラン楽しく市民運動をして弁護士をやるのが天職だと思っていました。でも五月雨のように出される有事立法がつくられ、憲法九条までも変えられてしまったら、ルンルンランランと踊っていた舞台の底が抜けてしまう。それでは困ってしまいます。何よりもみんなが困ります。

それで平和を守り・憲法九条を守ることを党是にしている社民党で、土井たか子さんたちと一緒にこれから頑張ろうと立候補を決意しました。その決意は正しかったとわたしは思います。弁護士が楽しく天職だと思っていましたが、有事立法が出てくる国会で一緒に頑張ってほしいと言われて、ではやはり政治の世界で頑張ろうと思いましたし、今も頑張っています。

たたかってきた多くの先輩

わたしは映画を見ることが好きです。最近見た作品で心に残ったのは「ハリエット」というアメリカ映画です。主人公のハリエット・タブマンさんは実在した奴隷解放運動家です。アメリカではだれもが知っている有名な方です。アフリカ系アメリカ人女性で初めて20ドル紙幣に採用されました。

「未来への花束」というイギリス映画も好きです。1910年代のイギリスで参政権を求めた女性たちの姿を描いた作品です。それを見ると、女性が政治運動をすることに対する抵抗感が強くて、家を追い出されたり、息子と会うことを禁じられたり、工場をクビになったりします。そればかりかハンガーストライキやデモをして殴られて血を流したりもします。逮捕されて刑務所に入れられたりもします。入れられた刑務所でもハンガーストライキをやって、無理やり強制摂食させられたりします。そうやって血を流したりしながら参政権を獲得したのです。

韓国映画の政治的なものもよく見ます。例えば「タクシー運転手~約束は海を越えて」や「1987、ある闘いの真実」です。「タクシー運転手」は「光州事件」をあつかった映画ですが、ユーモアもあり笑いながら見ました。でも、光州事件の場面では暴走する権力の怖さをひしひしと感じました。「1987」は韓国の民主化運動に揺れる80年代の韓国で実際に起こった事件を題材にしています。警察の暴力的な横暴さや拷問シーンもあって、韓国の民主化はまさに〝命がけ〟で獲得したものなのだとよく分かる映画です。死刑制度についても考えさせられます。

仲間とともに受章した「シュバリエ」勲章

フィリップ・セトン駐日フランス大使とともに(フランス大使公邸にて)

6月23日、わたしは、フランス政府から国家功労勲章「シュバリエ」を受章しました。これまでの死刑廃止運動、ジェンダー平等推進、子育て支援などへの取り組みが受章の理由です。わたしは、この受章理由を嬉しく思いました。日本政府からはもらえないような渋い理由です。これまでたくさんの人と一緒に取り組んできましたが、共に取り組んできた仲間にも与えられたと思っています。

2001年フランスのストラスブールでおこなわれたヨーロッパ評議委員会に日本の死刑廃止議員連盟の役員として参加し発言しました。この会では、死刑台から生還された免田栄さんも参加し、発言されました。

また、2009年男女共同参画担当大臣・少子化担当大臣に任命された際、フランスのパクス法やパリテ法などの法制度を学び、豊かで多様な子育ての支援政策が、子どもたちや親たちを応援していることを実感しました。

残念ながら、死刑廃止も選択的夫婦別姓なども日本ではまだ実現できていません。映画の主人公のようにはいきませんが、わたしはこれからも、社民党が目指す「すべての人の尊厳が守られ、多様な生き方が認められる社会」を実現していくために皆さんと一緒にたたかっていきたいと思います。(8月26日にインタビュー)

自主の道 秋号2021.9.1 より転載