展望

新しい時代に対応した反核平和運動

 2006年10月に朝鮮民主主義人民共和国がおこなった核実験や12月18日からおこなわれた六か国協議などにより、核兵器にたいする関心が強まっています。
 今回の六か国協議は、朝鮮の核実験後初めて開催されたものです。朝鮮が核抑止力を確保した新たな状況のもと、アメリカが態度をかえ平和共存政策へ少しでも転換するよう協議するものとしてとらえ、朝鮮は協議に参加しました。
 朝鮮は「アメリカが朝鮮敵視政策をつづけるかぎり、自国の核兵器問題を協議の対象にすることはできない。敵視政策をやめ制裁を解除するならば非核化公約の討議を始めることができる」という原則的立場を示しました。
 しかし、一部の人々のなかには、冷戦時代のあらゆる核に反対する運動路線を土台にして朝鮮の核兵器保有と核実験をとらえ、保守勢力以上に朝鮮の核実験に反対する傾向があります。
 日本ではアメリカやロシアなど核兵器保有大国の核兵器に慣れてしまっています。またそれだけではなく、イスラエル、インド、パキスタンなどが核兵器を保有していることにたいしてもほとんど関心がなく非難することもありません。

すべての核兵器に反対してきた反核平和運動

 日本の反核平和運動は、二つのプロセスを経て運動がすすめられてきました。
 一つには、日本の反核平和運動は、広島、長崎へのアメリカの原爆投下から始まり、日本が唯一の被爆国であることを強調しながらすすめられてきました。その後、マーシャル諸島のビキニ環礁でのアメリカの核実験やチェルノブイリの原子力発電所の事故などによって多数の死者がでるなど被害が生じました。
 そのため日本は唯一の核による被害国ではなくなりましたが、同様の被害を受けた国や人々と認識を共有することはほとんどなく、原爆投下による広島、長崎の被害だけを問題にする傾向があります。
 二つめに日本の反核平和運動は、米ソ核軍拡競争に反対する運動としてなされてきました。
 アメリカに対抗してソ連が核兵器を増強する競争がエスカレートしたことにたいして核軍縮を求めて運動がすすめられました。当初、帝国主義国アメリカの核兵器開発保有には反対しても、アメリカに対抗して核兵器を増強している社会主義国ソ連の核兵器の開発保有は認めてもよいという意見もありました。
 しかし米ソ核軍拡競争のもとで、帝国主義の核兵器も社会主義の核兵器もすべて悪であり、いずれの核兵器にも反対すべきであるというのが、日本の反核平和運動の到達した結論でした。

世界における核実験・核による被害(一部)
1945 広島、長崎に原爆投下。
1954 アメリカがビキニ環礁水爆実験実施し第5福竜丸が被爆。
1973 アメリカ・ハンフォード核工場で大量の放射能漏れ。
1976 旧ソ連バルト海海軍基地で地下核爆発。
1979 アメリカ・ペンシルバニア州のスリーマイル島の原子力発電所事故。
1986 旧ソ連・チェルノブイリ発電所爆発事故。「死の灰」ヨーロッパ全域にわたり、地球的規模の放射能汚染をひきおこした。
1989 旧ソ連核実験場セミパラチンスク等が高度の放射能汚染と報道。
1991 湾岸戦争勃発。アメリカの劣化ウラン弾使用により多くの市民が被曝。
1999 茨城県東海村のウラン加工施設で国内初の臨界事故が発生。

核抑止不要論は帝国主義的思考方法

 核兵器による抑止力は無意味であるという主張は、理想論としては存在しえても、現実には、帝国主義の核独占を許し、小さな国の核兵器保有を禁じ、帝国主義の利益と思考方式に迎合する考え方となります。
 人間の自主性を侵害せず、人間の自主性を擁護することが重要です。自分自身も自主性を堅持しながら生きてこそ、生きがいがあり、人間としての尊厳と価値を守ることができます。

国と民族、人間の自主性を尊重した運動を

 いま世界では、国や民族も自主的な方向にすすんでいます。
 世界で程度の差はありますが、自主的な志向を堅持しながら、国づくりをすすめ、世界の新しい秩序をつくっていこうという動きが強くなっています。今日においては、力による支配は、国と民族、人間の自主的な歩みを妨げることはできません。
 いま国と民族、人間の自主性を尊重し自主性を基本にしてこそ、新しい進歩的な動きをつくりだし、社会の発展と平和を実現することができます。
 わたしたちは、このような新しい時代の流れに即し、日本の現実を見すえて新しい反核平和運動をきずいていく必要があります。