インタビュー

戦争体験を落語にして語りつぐ

柳家さん八さん(落語家)


柳家さん八(やなぎや さんぱち)
1944年東京・江戸川生まれ。都立江東工業高校卒業後、印刷会社に就職したが、親の反対をおしきって1966年柳家小さんに入門。

自己の戦争体験を落語にして伝えている柳家さん八さんにお話を伺いました。

―創作落語「東京大空襲 1歳児は見ていた」を創られた背景についてお話しください。

 講談では「はだしのゲン」などがありますが、落語では戦争をテーマにしたものがなかったので、昨年の秋還暦を迎えたとき、来年は戦後60年の節目の年でもあるので1つつくってみようと考えたのです。
 しかし、実際つくる段になると、落語には笑いが必要だし、落ちもなければならないので難しかったです。
 何度か試行錯誤をしているうちに落ちも「おかげさまで空襲(九死)に一生を得ました。60年後、その1歳児は噺家となり、ここで噺をしています」に落ち着きました。

―東京大空襲では一晩に多くの方が亡くなったのですね。

 1945年3月10日の夜中から明け方までの数時間で10万人が亡くなりました。私の家族も防空壕に入ろうとしたのですが、すでにいっぱいで入れず、鉄橋の下で雨あられと降る焼夷弾を避け命拾いしました。翌朝陽が昇ったとき、防空壕に避難した人たちは皆爆弾の直撃を受けて亡くなったことを知りました。そのとき私は母親の背中にいて、当然当時のことは何も覚えていないのでおばあちゃんに聞いて創作しました。

―いままた東京大空襲のことを伝えようとされているのはどうしてでしょうか。

 それは過去のことであり、もう終わったことなのだからいいじゃないかというのではなく、歴史の真実を伝えていかないと風化してしまいます。
 最初はお客さんの反応が心配で不安でした。聞きながら泣いてしまう人がいたり、終わってから「実は私の妹も東京大空襲のとき、隅田川の橋で死にました」と話しに来る方もいました。
 広島や長崎の原爆もアメリカがその威力を試すために落としたし、空襲も日本の家屋に合う新型の焼夷弾を開発して、事前に東京の模型をつくって試したそうです。
 日本が他の国にしたこと、他の国からされたことについて正しく認識していかなければなりません。
 けりをつけることはつけ、謝罪すべきことは謝罪していかないとこれからの子どもたちにとって不幸だと思います。

―落語家の方で戦争に行かれた方も多いそうですね。

 柳家小さん師匠(先代)とか林家三平師匠も戦争体験をしています。「召集を受けて戦争に行き、銃をもたされて人を殺すことなんてできなかった。俺の前に来ないでくれという気持ちで、はやく戦争が終わってもらいたかった。戦争なんか二度と行くものではない」と語っていました。

―日本はアジアの一員なのですからアジア諸国と仲良くしていくことが大切ですね。

 日本は今まで欧米志向できたけれど、これからはもっとアジアに眼を向けていくのがいいかもしれないね。中国、韓国、朝鮮の人々とは文化的にもひじょうに近いものがあるし、同じモンゴロイドで顔も似ているしね。ただ民族や歴史はちがうのだから、似ているから仲良くするというのではなく、似ているけれどちがうということを認めて連帯していくのがよいのではないかと思います。

―落語を通して伝えていきたいことは何ですか。

 今の日本は自分さえよければよいという考えや物質・お金至上主義がはびこり、このままでいけば怖い日本になってしまいます。お説教ではなくて笑いを通して日本人が忘れてしまった人情、思いやり、優しさ、粋(いき)などを表現していきたいですね。

(7月28日編集部でインタビュー)